水車の回転が、小屋内部の歯車に伝わり、歯車が杵を持ち上げ、臼に入れられてい
る杉の葉を粉にします。
人と水の文化編
8 ぶくぶく水(弘法太師のふんどめ水)
笠間市大淵のぶくぶく水は、清らかな湧水で別名「弘法太師のふんどめ水(踏止
め)水」と呼ばれている。源義経が平泉に落ち延びる途中に、ここに立ち寄り、
霊泉を飲み軍議を開いたとの言い伝えがある。
また、この湧水の鉱泉は、「ぶんぶくの湯」となり江戸時代の頃から湯治客で賑
わうところとなっている。
5 雨引山 延命水
用明天皇の2年(588年)、法輪独守居士が本尊延命観世音菩薩を背負って雨
引山に登ってこられ、しばし休まれたところ、本尊の御袖から滴り落ちた水が泉と
なって、湧きかえったので、この泉を延命水と名づけたと伝えられている。
この霊泉の水を飲むと観世音菩薩の霊力がその身に加わって、延命長寿の功徳
を頂戴出来ると言われているようです。
この霊泉は水渇れることがなく、千四百余年の今日に至るまで清らかな浄水をた
たえているそうです。
線香を作る工程
1 川口川閘門跡
「土浦」は稲敷台地と新治台地に挟まれた桜川低地の地区で、17世紀末頃は頻
繁に洪水が起きていた。
明治以降に川口川付近の工事が行われ、明治39年に霞ヶ浦から川口川へ逆流
防止のための機械開閉式の閘門が設置された。また、その後土浦市内に流れ込ん
だ水を霞ヶ浦に排水するための「揚水ポンプ」が設置され、大きな水害は次第に減
少した。
しかし、霞ヶ浦水運の衰退によって川口川が埋め立てられると閘門やポンプは必
要なくなり、土浦高架道建設に伴い完全に閘門は撤去され、川口川は土浦駅の東
側と西側をつなぐトンネル状の道路と変わった。
2 霞ヶ浦遊覧
霞ヶ浦の沿岸を一周しました。
霞ヶ浦(西浦)・北浦・外浪逆浦・常陸利根川を併せ湖面積は約220㎢で琵琶
湖に次ぐ日本第2位の湖面積です。
最大水深7.3メートル(平均4メートル)で浅い内海を形成していました。
江戸時代には利根川東遷事業や干拓事業等が行われ、海水の流入が少なくな
り、地水湖(海水と淡水が混じり合う湖)になり、昭和38年の常陸川水門(逆水
門)の完成で完全なる淡水湖となりました。
平成29年3月28日(火)
かすみがうら市・市民学芸員の会が企画した「筑波山地域ジオツアー」に参加しました。
スケジュールとして 川口川閘門跡(見学)➡霞ヶ浦遊覧➡石岡市駒村清明堂水車(見
学)➡山口川水力発電所➡雨引山(昼食と清水汲み)➡桜川市青木堰(見学)➡桜川の
源流鏡ヶ池(見学)➡笠間市ぶくぶく水(見学)➡友部サービスエリア(土産)
筑波山地域ジオパークの水は筑波山系の山並みに降った雨や雪が、一旦は森に蓄えら
れるが筑波山系の山並みを構成する花崗岩などの崖錐堆積物中や岩盤の割れ目をゆっ
くりと浸透し、地下水となる。その地下水が自然状態で地表に流出し、湧水となり、湧水を
水源とする河川が56本あり、霞ヶ浦に注いでいる。
霞ヶ浦の貯水量は常に約8億㎥が保たれている。
源九郎意成大明神と弁天社
7 鏡ヶ池
鏡ヶ池は、謡曲「桜川」で知られる桜川の水源地で、筑西市、つくば市を経て土浦市
で霞ヶ浦に流入している。
6 青木堰
青木堰は古くから村(青木村 現桜川市大和村青木)の水田を潤してきた重要な施
設でしたが、河川が急流で増水のたびに流され、多大な改修費を要してきたが、やが
て改修が出来ず放置されていたが、1833年に農政家である「二宮尊徳」に青木村復
興事業として青木堰の建設を依頼し、完成した。現在の堰は1998年に旧跡の上流に
建設されたものです。
4 山口川水力発電所
明治45年「真壁水力電気株式会社」が設立された。
真壁町田字山口の湯袋峠を抜ける道沿いの山中に設けられた水力発電所で、舗装さ
れていない道に自動車もない時代の資材の運搬や工事などは困難を極めたものと考え
られる。長さ70cm、内側の直径が39cmの土管が現在も山中の各所に埋没されて
いる山口川から発電所までに約2000本以上の土管が使用されているとのことです。
山口川の水が貯水池に集められ、落差84m下のドイツ式水車を回転させ(出力70
馬力)発電させていた。
出来上がった線香を店頭で販売しています。「100年の香り」を購入してきました。
山から流れ出る清流を利用し、松で出来ている直径4.3メートルの水車の回転で、杉
の葉を1~2日かけて粉にしている。
3 駒村清明堂
明治時代から100年以上にわたり、杉の葉を水車で粉にしてつくる伝統製法を守り続
けている杉線香店です。原料も設備も動力もすべて自然の恵みに頼り作られる全ての線香
の中で「100年の香り」は、100年以上の伝統がある笠間市の「菊まつり」で使用され
た菊を使った線香で、素晴らしい香りでした。