神社の境内にも貝殻が沢山散らばっていました。
参考文献 講座資料
三峰神社は埼玉県秩父郡大滝村三峰に所在する古社で、以前「雲取山」登山の折、三
峰神社の宿坊に一泊したことがありました。
三峰宮は奈良時代初期に聖武天皇より「大明神」の神号を奉られ、平安時代初期に弘
法太師が十一面観音を刻み、三峰宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってい
たようです。
江戸時代になると三峰講を組織する村々が全国的に現れ始め、火難・盗難除けの神と
して庶民崇敬を受けるようになったそうです。
牧ノ内地区の三峰神社の創建は不明。
史跡学習会(牧ノ内・男神地区)
鹿島神社は、武甕槌命を祀る神社で、男神地区の鹿島神社は長禄元年(1457)に創
建されたと伝えられ、文明10年(1478)に本社が造営されたそうです。
ご神体は石鉾で、出土した縄文時代の石剣を石鉾と称し、ご神体にしたそうです。
◎ 鹿島神社(男神地区)
◎
真光院跡・・現在の牧ノ内集落センターの場所にあった真言宗寺院で、本尊は不動明王。
四国八十八箇所霊場移しの第85番札所になっていて、現在も子安観音堂
内に石造弘法大師座像がありました。
弘法太師像
平成26年11月16日(日)
郷土資料館主催の地区史跡学習会 第一回 牧ノ内・男神地区の講座に参加しま
した。
路傍の月待塔
残されている棟札には、承応2年(1653)に造営、享和2年(1802)に造営、文化4
年(1807)に鳥居を建立、明治15年に村社に列格し、大正2年には境内へ天満神社
と童子神社を遷宮していると記載されているとのことです。
他より僅かに塚状に高くなるコシキ塚
◎ コシキ塚
この辺一帯が貝塚だったようです。
牧ノ内貝塚は、2000年に実施した遺跡分布調査によって発見された貝塚だそうです。
縄文時代中期の加曾利E式土器や後期の堀の内土器と少量のサルボウとヤマトシジミ
が採集されています。
貝層の分布は4m×4mほのど範囲から住居跡あるいは土坑内貝層の可能性が指摘
されている。
◎ 牧ノ内貝塚
本尊不動明王は集落センター内にあるそうですが、本日はセンターが開いてないので残念
ながら観れませんでした。
牧ノ内は、かすみがうら市下大堤村の小字の地域で、江戸時代には土浦藩領内にな
り、のちに天領・旗本領となったそうです。
月の出を待って拝む月待信仰があり、中心となるものが二十三夜信仰です。月は本尊の
「勢至菩薩」の化身であると信じられていたことから全国に広まったそうです。
また、男神地区には二十六夜塔もありました。
◎ 二十三夜様
字コシキ塚と言われていた場所に、9m×11m、高さ0.8mの方形の塚がありま
す。このような小型の方形の塚は、近世江戸期に多くみられ、大日塚をはじめとした
信仰対象のものと考えられる。大日塚は、日を仰げる村境の地に見られることが多
いことから、ここもその可能性が高いそうです。
ヤマトシジミ
サルボウ
◎ 三峰神社